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企画班騒動記・恵まれなかった作品たち

こんにちわ 早稲田建築学部2年生の倉澤賢太朗と申します。取り留めなく綴っていきますがご容赦ください。どうぞよしなに。

この度の設計演習A展では企画班代表を藤井隼くんと二人で担ってきました。


広報や会場班の代表は一人なのですが、なぜ企画班には二人代表がいるのか。

その起源は、A展運営メンバー発足までさかのぼります。

当初、企画班はその役割が曖昧な部署でした。


一月半ば。A展運営メンバーの、本当に本当の第一回会議にて、関根くんが名乗り出て代表になってから各部署が設立されていったのですが、最初に議題となったのが「どんな部署が必要か」でした。

当日の展示を直接担う会場班。事前のA展の宣伝やweb上の展示を担う広報班。(確かそれぞれ、現在の代表が部署の設立を提案していたような気がします)


そして、僕と藤井君が提案したのが企画班の設立でした。この時点で、企画班の役割は曖昧でした。僕らが提案したのは、広報班と会場班の方向性を総括する部署としての企画班。他の人が捉えたのは、A展に付随するイベントの企画班。そんな役割が曖昧なもんだから、企画班はA展の方向性を自分たちが担っていると思いながら、広報班や会場班の方々は自分たちの領分に踏み込んできている、なんていざこざがあったのを覚えています。曖昧というか、ズレですよね。上手く適切に意図を伝えられずにすれ違いを生む。


それはさておき


振り返ってみて、激動の日々でした。

A展運営内での独走、名言「我々はむしろ寛容である」、作品「たぶら・らさ」(都市へのインターベンション参照)による早稲田街侵略や来場者参加型「お前も作品を作ってみないか?」コーナーの提案、そのすべてを吹き飛ばした顧問先生の草案レビュー、本当に、いろんなことがありました。最終的に我々企画班が担ったのは、広報班の提案「Zoom交流会」でしたが、そちらも開催間際まで内容が段取りが確定していなかったり、いざ開催初日となって海外からの荒らしが入ってきたりなどうんぬんかんぬん...


散々トラブルに見舞われたり起こしたりしてきたわけですが、やはり、ここまでこれたのは皆のおかげだったなあと思うわけです。決して決まり文句の安い言葉でなく、真にそう思います。いかついツラして妄言吐きまくる自分と向き合ってくれた、関根くんを初めとする総務の方々、会場運営や展示方法、会場装飾を前日遅くまで作ってくれた会場班、イカした広告や宣伝、魅力的なホームページの運営をしていた広報班、そしてなにより、使えねえアタマをずっと支えてくれたというか、寧ろ引っ張ってくれた企画班の皆さん。ありがとう。もはや役に立たなさ過ぎてありがとうを言う顔がありません。うん。やっぱありがとう()


Zoom交流会初日:開催直前


長々とA展運営陣の発足からの流れを綴りましたが、まあ、来場くださった方からすれば知ったこっちゃないでしょう。逆に言えば、当日展示されていた作品に対しては鮮烈な印象を持ってくださったかと思います。けれど、ここでお伝えしたいのは、展示された作品のような、決して恵まれたとは言えない作品たちが沢山、およそ100を優に超える作品があったということです。「恵まれなかった」という言葉には、やや強いニュアンスがあると思いますが、それでも、「恵まれなかった」という言葉を使います。ここでいう「恵まれなかった」とは、二つの意味を持ちます。


一つ、理解してくれる人間がいなかった

二つ、それを伝える能力を作成者が持ち合わせていなかった。


自分で「こいつは良い」と思っても、それが必ず他者に伝わるというのはありえません。自分の趣味判断と相手の趣味判断が確実に一致することは到底起こりえないからです。また、他者との価値観の違いだけでなく、自分の表現技法によって、自分の意図が伝わらないということもありえます。


他者に勝手に意図を断定されて、勝手に評価される。そうされるくらいならば、この作品の意図は自分だけがわかっていればいい。そんな風に考える時期が自分にもありました。というか、今でも思う節があります。けれど、作品を作る根源を辿れば、やはり「伝わってほしい!!!」って気持ちが溢れてくるのです。理解されなかった自分(=作品)を見て、不理解への怒りや悲しさ、同時に届けてあげられなかった申し訳なさに溢れます。その感情は確かに「伝わってほしい!!!」から来ると思うのです。


そして「伝わってほしい!!!」から生まれる葛藤は、何も作品作りに限りません。


上記の「企画班の役割のズレ」にあるように、日常生活、人と関わるうえでそういったことは良く起きます。起きますよね...? 思ってもないことを言ってしまったり、変に取り繕ってしまったり。なら、言わない方がましだと思ったり。そういった経験をしたことは、誰にでもあるでしょう。


ここで大切なのは、伝えることと、伝えられることを諦めないことだと思います。


伝えたいと願う人間は、「どうすれば相手に伝わるか」を吟味する義務があります。その結果、純粋にそのままぶつけるでもいいし、はたまた「伝えたいこと以外」で伝える、なんてこともあるでしょう。大事なのは、伝えたいことを見失わないことと、表現技法にあると思います。


伝えられたいと願う人間は、「なにを伝えたいのか」を吟味する義務があります。その人が何をもって伝えてきたのか、どのような心情なのか、完璧に理解できなくても、突き詰める努力が最低限受け手には必要だと思います。


これは、それが全人類できればきっと、戦争が無くなり、自殺者も減って、世界はもっと素敵なことになるでしょう。自分でも何が言いたいか分からなくなってきましたが、とりあえず、展示されていた作品には、あなたが思っていることと違う意思があったかもしれないこと、そして、展示されている以外の作品たちが、どこかに転がっていることを知っていただきたいのです。



くらけん

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